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社交不安障害が理解されないのはどうして!?その理由とは

社交不安障害(社交不安症)は誰もが感じる不安の延長線上に位置づけられる病なので、周囲から理解されずに苦しんでいるケースが多く見受けられます。

そもそも社交不安障害という病気は、社会の構造が大きく変化してきたからこそ生まれてしまった病気とも捉えられることができます。

それはどういうことなのでしょうか。

中世のヨーロッパでも、近代化前の日本であっても、農村というひとつの生活圏が成立していたため、それほど多くの人付き合いが求められることもなく、また村の中でも付き合う人が限られていたので、お互いがお互いを知っている関係でそれほど困ることはなかったからです。

ところが産業が進歩し近代化が当たり前の世の中になった今、職業も自由に選ぶことができ、住む場所も働く場所も自由になりました。それと同時に、昔では考えられないくらいに人付き合いが求められ、自分をアピールしてその存在を相手に示さなければいけなくなりました。

社会的な背景が病気につながっているケースというのは何も社交不安障害に限らず、認知症や老人性のうつ病、多くの依存症などが影響を受けていると言えます。

ただ社会的な構造の変化が社交不安障害を成立させていると言っても、当事者たちはその社会のうえに生活していることには変わりありません。

だからこそ少しでも周囲の理解という支えが必要になってくるのではないでしょうか。

しかし現実に目を向けると、理解が進んでいるとは思えません。今回はどうして理解が進まないのか、理解されにくい理由について考えていきたいと思います。

病気の境い目が分からない

社交不安障害は心の病のひとつなので外見からは病気だとわかりません。

また社交不安障害には全般性のものと非全般性(または限局性)のものが存在しており、特定のシーンにおいて著しい不安や恐怖を感じ回避行動を取ってしまう非全般性の社交不安障害は、その場面や機会を除けば何も問題がないのです。

ただ何も問題がないというと語弊が生じてしまうので、当事者として言わせてもらいますが、例えば、社交不安障害のひとつに会食恐怖というものがあります。

この会食恐怖があることによって、仕事の付き合いでの食事や私生活での家族、彼氏(彼女)、友達との食事を苦痛に感じてしまい、結果的には生活の質の低下や社会活動への参加が困難になります。

もちろん多くの人は会食恐怖の知識を持ち合わせおらず、当事者が説明しても「気持ちの問題だから」とその一言で片づけられてしまうことが多いのが現状です。

しかし食べたいのに食べられないというのは、人間が生きるうえで大きな支障になっていますし、これを病気として考えないということであれば医学的にはどうなのかと思ってしまいます。

もちろん社交不安障害には、その恐怖対象とするものや身体症状の表れ方について、同じ社交不安障害を抱える者であっても違いがあります。その中には社交不安障害に含まれる恐怖群にも関わらず、病気との境い目が分からずに性格とみなされてしまうものも存在します。

だからこそ社交不安障害の理解が進まないのかもしれません。

誰にでも経験がある状態と似ている

社交不安障害の恐怖群のひとつにパフォーマンス恐怖というものがあります。

パフォーマンス恐怖というのは簡単にいえば、人前で発言したり、楽器を演奏したりすることに著しく不安や恐怖を感じてしまい、その際身体に何かしらの症状が表れ苦痛を感じてしまうというものです。

パフォーマンス恐怖はいわば”あがり症”とほぼ似ています。

どんな人でも人生を左右するような試験、仕事、試合に臨む時というのは不安を感じ、身体反応として心臓の鼓動が速くなったり、吐き気を催したりするものです。また何度も同じような場面を経験していても、重要な場面というのは失敗したくないという思いがこみ上げてくるものなので、どうしてもあがりやすくなります。

“あがる”という生理的現象は多くの人が経験しているものです。だからこそパフォーマンス恐怖は理解しづらいと思います。

パフォーマンス恐怖とあがり症の境界線というのは、第三者から見て明確に分かるものではありません。一般的にあがり症と呼ばれるものは、人前で話し終わった後に、一つのことが終わった達成感と安心感から気持ちが楽になります。

しかしパフォーマンス恐怖は話し終わった後にどこか恥ずかしさを感じてしまい、その感情が長い間続くことが見受けられます。その理由はパフォーマンス恐怖を含む社交不安障害の根底には、他者からの評価に対する恐れがあるからです。

他者からの評価というのは誰もが少なからず気になるものですが、社交不安障害を抱えている人というのは、そういったものに過剰なほど気にしてしまうのです。場合によっては否定的な評価に対してトラウマになっているかもしれません。

またあがり症といわれる人でも、あらゆる対人関係のシチュエーションであがるというわけではないと思います。

ところが社交不安障害の場合は、程度の差はありますが、ひどいようだとあらゆる対人関係のシチュエーションにおいて著しい不安や恐怖を感じてしまうのです。

社交不安障害に対する知名度不足

冒頭にも言いましたが社交不安障害というのは社会構造が変化したことによって表れてきた病とも見なすことができます。

社交不安障害という名称も、歴史を遡れば社会恐怖、社会不安障害と名前が変わって今に至るので、もともとの社会恐怖という言葉を社会情勢に対する恐怖と捉えてしまえば別の意味として受け取られてしまいます。

『エミール』や『社会契約論』、『告白』などの著書があり哲学者・思想家のジャン=ジャック・ルソーは赤面恐怖に近い症状に苦しんでいたことを自伝的作品『告白』の中で綴っています。赤面恐怖は社交不安障害に含まれる恐怖のひとつです。

ただルソーが活躍した中世のヨーロッパは顔が赤くなることに対して、それが弱さの証や傷つきやすい性格とは捉えられなかった時代です。それほど問題になることはなく、むしろルソーに関しては社交不安障害というよりも統合失調症に見られる被害妄想が強かったという見方が大半です。

社交不安障害と社会の枠組みというのは切っても切れない関係にあるのではないかと思います。

また社交不安障害があまり知られていない背景には、当事者の行動にも要因があります。

これは理にかなっている行動ではあるのですが、社交不安障害を抱える人の多くは、人からの否定的な評価を恐れるあまり、人と接する場面で演技することが往々にして見受けられます。

つまり否定的な評価をされないように頑張って演技をしてしまうため、結果的には社交不安障害がどういうものか分からないということになってしまうのです。

少々皮肉に思えてしまいますが、当事者は知ってもらいたいという気持ちとその症状を知られたくないという気持ちとの板挟み状態に置かれてしまい、社交不安障害がどういうものなのか、当事者の周りの人にも伝わらないということが起きているのです。

「ディジーズ・モンガリング」という言葉があります。

この言葉は製薬会社などが薬の売り上げを上げるために、薬そのものではなく、その薬が利用される、病気とも言い切れない病気を過剰に売り込むことを意味します。つまり利益追求のために薬の市場を広げようとする行動です。

社交不安障害は誰しもが感じる不安や恐怖の延長線上にあることから、単なる気のせい、甘えとして批判的な姿勢をとる人の中にはこの言葉を使う人がいます。その中には医師や専門家も含まれています。

確かに病気と言えない人に対して、過剰な薬を投与するのは危険があります。だからこそ危険を未然に防ぐという意味で主張していると思います。

しかしその一方で、社交不安障害を抱える人に対して薬を使用して生活の質が良くなった事例も実際にあります。

社交不安障害を病気として考えるべきか、それとも性格のひとつとして考え根性論で接していくべきか、お互いを二分法のように線引きすることは難しいのかもしれないですが、私自身は社交不安障害を病気として認めることで、改めて向き合うことができるのではないかと感じています。

もちろん社交不安障害を性格のひとつとして考えている人がいることも承知してます。大半の人はそう思っていると思います。

やはりその背景には社交不安障害の理解が広がっていない証だと思います。当事者も支援者も社交不安障害がどういったものなのか今一度理解を深める必要があるのではないでしょうか。

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